陸奥国磐瀬郡鎮座 桙衝神社

Posted by Anna(旧:Noa) On 2014年5月9日金曜日 0 コメント

連休後半はお休み返上で出勤していたのですが、最終日は某様と久々の土地巡りへ。
福島県須賀川市の桙衝神社の磐座に某様はどんな反応するかな~?と、お連れ申し上げました。

(今回は写真あんまり撮らなかったので一部以前撮ったものを使用してます*)


鉾衝神社は亀居山をご神体山とした神社で、約2000年前に日本武尊(ヤマトタケル)が東征の折に柊の八尋の矛を突き立て武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を祀ったことに始まる伝承があります。ヤマトタケルがどーにも気になるっ!という時期がありまして、県内にもタケル伝承あるのかな?と調べていた時に一番最初に見つけたところでして、たまにドライブがてら会津から磐座にご挨拶にきてました^^
ご祭神はタケミカヅチとヤマトタケルの二柱。
神名帳考証では穗己都久命(ほこつくのみこと)というワダツミの孫で安曇族の祖にあたる方が祭神となってます。



本殿背後の山頂突端部分に要石と呼ばれる磐座がありまして~、
そこから古墳時代後期の祭祀遺物が出ているそうですが、ここが本当に素敵な磐座で^^ 


神社の詳しいご由緒は大火で焼失してしまったようですが、弘仁12年には弘法大師がやってきて亀居山上の厳石に「不動」の梵字が浮かび上がったことから、霊地とし、麓に長光寺(現:長楽寺)を建立したなんていう伝説もあるという歴史ありげな神社です。江戸期には鹿島神社と呼ばれていたようで、山門には鹿島神社の表札が。

そうそう長光寺の弘法大師ですが、長光寺から丑寅の方角に夜な夜な光る塚があるから、怪しいと思って掘り起こしてみたら神鉾が現出したので秘蔵しちゃって、祭神のご霊代として崇めたそうですよ。
しかも清和天皇の御代には蝦夷討伐で蝦夷人を殺し過ぎたことの、怨霊の崇りを恐れ、色々な所で祈祷したらしいのですがね、この長光寺でも衆を集め読経して、経典や法具などを埋めたそうです。アヤシイw

ご神体山の亀居山ですが亀居=カムイを連想してしまいます。実際、上の磐座はとてもまろやかで女性的な瑞々しいエネルギーをしているのですが(個人的な感想ですよ)下の神社はかなり男性的で武張ったかんじ。まあ、御祭神があのお二人だしね。笑 そしてお寺に至ってはなんかいやに開けてて変な感じなんですよね~。なので、下から上がってくると「あ、ここ踏み入って大丈夫なところだろうか?www」と心配になるのですが、上まで登り切っちゃうとなんか妙に軽くなる。

麓・中腹・山頂でまったく違ったエネルギーです。


古墳時代、、もしくは縄文の頃からの聖地を神社(タケミカヅチ&タケル様)と寺で二重封印しているような気もします。時代や理由はそれぞれだろうし、このおかげで上が守られてる部分もあるだろうし、良い悪いとは一概に言えないですけど。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ところで私の中でタケルさまは東征したヒーロー(関東・東北側から見たら悪人なのか)ではなく、なんかどっか物悲しいイメージもあるのよね。
実は「タケル」は中央の人間ではなく、もともと東側のもののふたちの総称で、、後から中央の歴史の都合のいいように作り変えられた説もあります
そう仮定したとして、きっとタケルズ(笑)達の中には、阿弖流為のように最後まで徹底抗戦の人もいただろうけど、中央に屈して仕方なく同族と戦うことになった人もいたのかもと妄想してみました。でも中央の蝦夷・東国・辺境経営の歴史と切っても切り離せないのがタケルさまかな。

東北のタケル様関連の場所を巡っていると蝦夷の抑え…もともと蝦夷やそれらの人と融合していた人々の聖地であった場所に、中央からの圧力があったように感じます。
もしタケルさまがどちらかというとこっちサイドの人なら、三輪山の祭祀を大田田根子に任せたように、抑えとしての神もしくは巫女は同族でなければならなかったのかもしれない、なんて妄想してしまいました。

某様からのご意見もあり、色々と妄想が広がりました。
そして某様のおかげで、鬼瓦がリアルすぎるという新たな発見もw



上の磐座、私にとっては大変心地よいのですが、万人にお勧めできるかと言われると「ううむ」な場所ではあるし、またこれから更に暖かくなると「結界か?!」と思わんばかりの藪蚊の大群に襲われますので、お出かけの際はお気を付け下さいwww

ともかく、古代の息吹を感じる場所です。


Anna

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