埼玉県行田市 さきたま古墳群

Posted by Anna(旧:Noa) On 2012年11月10日土曜日 0 コメント

行田市のさきたま古墳群に先週の土曜行ってまいりました。古墳と言えば西のイメージが強いですが、関東の古墳は数も規模も西の古墳に負けず劣らずナノデスヨ。
古墳をマップ上に表示できるアプリをマイiPhoneに入れているのですが、行田市周辺で開いたら気持ち悪いぐらいマップ上にピンが立っていました。笑

さきたま古墳群といえば、国宝の金銘錯鉄剣が発見された稲荷山古墳が有名ですネ。
他にも日本で最大の円墳と言われ、豊臣秀吉が天下統一を進める1590年、家臣の石田三成が市内にある忍城を水攻めにする際に、この頂上に陣を張った丸墓山古墳など、かつては、40基ほどの大小の古墳が造られたことがわかっており、出土した遺物から5世紀後半から7世紀初めごろまでの約150年間に次々と造られたと考えられています。

どんな出会いがあるのか、わくわくしながら古墳群をめざし行田市へ車を走らせます。
このあたりかな?とキョロキョロしていると、古墳らしきものを発見。
近づいてみるとそこは、さきたま古墳群の北端である白山古墳群内の白山神社古墳でした。



7世紀前半に作られた円墳といわれています。
古墳の墳頂には白山姫が祀られていました。

 風がさわさわと、木々の葉を揺らしていました。



さて、お昼を食べ、目指すは本命のさきたま古墳群!
見てください!(笑)ほんっとに!テンションあがるでしょっ!!!
すんごおおおおぉい!!!!




手入れの行き届いた大きな古墳が沢山並んでいる姿というのは圧巻です。
そしてそして、何なのでしょうこの心地よさは。
白山神社古墳といい、古墳の概念を覆すような素敵に穏やかなエナジーに満ち満ちています。
きっとここに眠る古の貴人たちも、さきたまのこの麗しい大地を愛していたのでしょう。
だからこの慈愛の様な優しいエナジーが満ちてるのかな?と思いました。
それか元々何か聖地っぽい場所だったのでしょうか。
家族連れの人たち、カップルなど思い思いに陽だまりの古墳公園を散策する姿は、なんかいいなあって思いました。

あと、古墳と全く関係ないんですが、古墳の真横で謎の男性ラッパーが一人曲の練習していたのが気になりましたよww
なぜ古墳のそば選んだし!www 





古墳公園の一角に、埼玉の語源になった前玉神社(さきたまじんじゃ)があり、そちらにもお邪魔させて頂きました。
こちらは浅間塚古墳の墳頂に立っていますが、古墳公園とはまた違った独特のエネルギーでした。ふるいっ!濃いっ!『古墳』って感じです、ちょっぴり渡来系のにおいもするような。
ご祭神は前玉彦命(さきたまひこのみこと)・前玉姫命(さきたまひめのみこと)。



でもこちらも地元の人たちにとても愛されている場所なのだなと感じました。というか、社殿や手水舎の彫物がすごいっ。半端ないっす!手水舎の龍さん、カッコイイ☆こんな立派な手水舎どなたが寄進したのかしら?



うん、でも私的に白山神社古墳や古墳公園のほうが落ち着くかな。笑

最後に「のぼうの城」で有名な忍城へ。遅い時間だったので忍城おもてなし甲冑隊に会えなかったのが残念です。後でwikiったらのぼう様こと成田長親は小田原城降伏ののち、一時会津の蒲生氏郷のもとに身を寄せていたんだとか。 


さきたま、行田の素晴らしさを肌で感じた一日となりました。
 

ありがとうございます。


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