最近、個人が抱える様々な問題の入口と出口のトビラは一緒ということをつくづく思うのです。
問題を解決するためにどこか遠くの目的地を探すような旅に出るとしたら、たぶん一生旅をし続けることになるのではないかと思います。
トビラから入って探究の旅に出るよりも、そのトビラがどんなものかしっかり確かめることのほうが、問題を素早く解決させる気がします。なぜならキッカケはそのトビラなのだから。
救済を求めて旅し続けること、巷で良いと言われているものをやり続ければ、自分は救われる、良くなると思っているのは、単なる依存なのではないかと、私は感じています。
長い時間をかけてやり続けることで成果がでることもあるけど、心理的な部分で言えば、良くなりたい変わりたいと思いながら、2年も3年も同じことを続けている人を見ると何とも言えない気分になるときがあります。そういう時は根本的な見直しが必要なんじゃないかなと。
それは自分の行動やクセ、体のサインに全部出ているわけだから、それに気付ける自分でありたいなあと思います。
世間一般で良いと言われていることが、自分の心と体にも良いかというとそれは違うと思うし。本当に自分に合ったケアの仕方を見つけたいものですね。デリケートな部分のことはムズカシイけどね、そしてもっとストレートに自分の問題を見つめる勇気ってのをね。身に着けたいナ~ってね、最近は私も思いますよ。
ちょっと話はズレるかもしれないのですが、以前の職場にいた同僚の50代女性。
長いこと東京でバリバリに働いていた、いわゆるキャリアな方で、仕事を辞めた後、旦那さんの実家の会津に引越してきたんだけど。
ことあるごとに会津の田舎加減に文句を言う人で(笑)会津も変わらなきゃダメ!って言ってたんです。
で、私は会津大好きですけど(笑)大好きなゆえに会津の人の井の中の蛙的な部分が嫌いで、そういう部分はよくないと思ってたので、彼女の言っていることを「ウンウン。そうですね。」って聞いていたんですが、
ある時、彼女が「変わらなきゃダメ!」って言っているのは、自分の生活(都会で好きに生きていた時代)を変えたくないから、この土地が変われ!ってことを言ってるんだなということに気付きました。…まあ、彼女の表層意識がそれに気づいているかは別ですが。
旦那さんに借金癖があったり、御姑さんのことや、自分の父親との関係、体の事などでものすごく悩み多き方だなあとは思っていましたが、そんなに生活変えたくなくて、旦那さんの悪口とか色々言うぐらいなら、まだ貯金もあるんだから、旦那さんに食いつぶされないうちにさっさと離婚して、都会に戻ればいいのに…といっつも思ってましたw
ようはなんだかんだ言っても旦那さんに…自分を必要としてくれる人に依存してたんですよね。
あとね、30も下の小娘に色々言われたくないっていうのも分かっていたので、敢えてネガティブ発言のごみ箱orサンドバッグになっていたのですが、私もある時本当にもう無理だとブチ切れて、そっから一切連絡をとっておりません。
彼女に対して憎しみとか怒りとかは一切ないんですが、(ていうかこんな小娘に説教させるなよ、、と当時は悲しい気持ちになりましたね)きっとまだ変わらずに同じところをぐるぐるさまよっているんじゃないかなと思うとなんだかなぁ~と思う時があります。
まあ5年以上も前の話だし、彼女がいい感じに変わっていることを願います。
問題って結構外から見た時の方が根本が良く分かる時もあるし。
こういう時に「そうだね~。そうだね~。良いね~、良いね~。」って一見優しく話を聞いてくれる人が自分にとって薬のように思えるかもしれないけど、
面倒くさいから&本当のことを言われたくないっていうのを本能で嗅ぎ分けてウンウン言ってるだけだと思いますよ。
自分にとって耳に痛いことも臆せず言ってくれる人の方が、私は数万倍優しいと思いますし、その人本人が変われるチャンスをくれると思います。
なので、自分と自分に肯定的に思える仲間だけで納得しない。客観性を持つってのは大事なんじゃないかなと感じています。
そして入口が出口なら、今自分はそのトビラからどれだけの距離にいるかってことは常に把握しておきたいナ。と思います。
まあ、なんでこんなこと急に記事にしたのかということなんですが、
今年後半は自他共にそういうことを良く感じるシーズンでもありましたので、
12月も半ば、蠍土星が射手座におさらばする前に今ここで書いとこうと思った次第(笑)
ようやく終わるっ…(ToT)/~~~
なんかこの記事まとめてたらトートのDeathが浮かんできたので貼っておきますね。
皆さんも2014年残りわずかな時間、楽しく有意義にお過ごしくださいませ^^
明日は選挙!投票にいきませう。
ではでは♪
「死」は、変容のための偉大なる祝福である。
「死」を受け入れいない限り、あなたの中に隠された痛みは、あなたを蝕み続けるだろう。
さまよいびとよ、痛みから逃れ、なぜ旅に出るのか。
汝が今くぐり抜けた扉を見よ。
Anna
今回、弥彦神社に関する摂社や旧跡地を回りました。
その中でも、弥彦山の日本海側に面している野積の妻戸神社(つまどじんじゃ)は、天香山命の妻である熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)が祀られる神社です。
弥彦大神が野積海岸に上陸し塩造りや漁業、醸造技術を伝えた後、内陸部を開拓するために妃神を残り山を越えました。
生活が定まった後で妃神を呼ぶつもりだったが妃神も一緒に移りたくて後を追いかけました。行き先を口止めされていた木こりが妃神に山越えの道を教えようと口を開けたとたん石になってしまいました。
妃神は自分の欲を詫び追いかけるのをあきらめてここに留まり、弥彦大神の開拓の成就を祈り、また石になった木こりの霊を慰めたといいます。というようなご由緒のある神社です。
ご神体の大岩を「口開け岩」ともいうそうです。
妻戸神社の目下に広がる野積、ここは酒造りが盛んで、野積杜氏は全国に良く知られていますが、この杜氏という言葉、女性の家長を表す「刀自(トジ)」という古語からきているという由来があります。
というのも古来、お酒を醸造したり神にささげるのは女性の仕事だったからだそうですが、
刀自は女性首長を表すコトバである戸辺(トベ)などにも繋がりますし、
この口開けの祭りも、妻戸の女神と巫女たちに機縁しているのかもしれません。
※彌彦山山頂から見た日本海と越後平野↑
Anna
ここひと月という短い間、お隣の新潟県にある弥彦神社に通い詰めていました。笑
「おやひこショック」「おやひこ事変」ww と呼んでもいいかもしれない。
呼び寄せられるように地元会津の仲間達と弥彦通いをしていました。
彌彦神社(やひこじんじゃ)は、新潟県西蒲原郡弥彦村にある、彌彦山をご神体山とした、越後国一宮です。正式には「いやひこじんじゃ」と呼ばれるそうです。
弥彦のご祭神はニギハヤヒの息子で尾張連の祖でもある熊野の天香山命(あまのかごやまのみこと)~またの名を高倉下(タカクラジ)・手栗彦(タグリヒコ)~だと言われており、弥彦山山頂のご神廟に妻である熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)と共に祀られています。
天香山命(高倉下)は神武天皇が東征中、熊野で悪神の毒気により倒れた時に、布都御魂剣(フツノミタマノツルギ)をもたらし覚醒させた、神武東征の功労者です。
※彌彦山遠景、左が国上山、中央が彌彦山、と十宝山、右手に角田山。
(続く)
Anna
皆様コンニチハ。
しばらく心身ともにバタンキュー(古い)しておりましたAnnaです。
夏場にトドメとばかりにHPに大打撃を受ける出来事が続いたこと、
仕事の疲れやら何やらが重なり、
相当に肉体の力、、生命力が落ちていたようです。
肉体の力、もしくは生命力が低下すると、グラウンディングが甘くなって変なMPが上がるせいか、妖怪アンテナビビビやけに敏感になっておりました。
不思議な時間でしたね、水の中に居るような、
人生の折々に時々訪れる、清濁ぐるぐるな、はざまタイムでした。
そうして、はざまタイムに、
他者にエネルギーを明け渡してしまうようなことをする原因は、一体何なんだろうということをぼんやり考えていました。
基本魚座ビシャ子なので、自分と相手と世界との境界が曖昧で、
自分でも気づかないうちに入り込んだり入り込まれたりしてるんで
結局、生命力薄くなってた件も、
ひとつ、思い当たることがあるとすれば、今より若い頃に、
その時に、
自分の罪と真っ向から向き合うと自分が壊れちゃうから。。
でもそれは奥深くに常にあるものなので、

でもここにメスを入れ無い限りは幸せになれないとかだったら、
加害者(大げさか)としてまず手放して良い物かもわからん。。
わからんから鍵をかけたんだけど、
徐々に心身も回復してきて、そいで某映画を観に行った先週の火曜日。
映画の中で描かれる、過去に自分が犯した罪から、
自分一人の幸せや命も貴いものなのに、自己を犠牲にすることは逃げているだけだという彼の師の言葉。
けして哲学的な映画ではないと思うのですが、
自分が不幸になる状況を引き寄せていた、罪の意識。
私は向き合う勇気がないから、裁かれる人を続けていたのかもな、
「傷つけた相手がいるということを受け止めながら、
言葉にするとなんか軽薄な感じがするけど、
これってすごく重いことだ。
幸せになるって、重いことだ。
そう思いました。
うん、ネガティブな意味じゃなくてね。
「重みがある。」
でも、いいんだけど、「重みがある」じゃ軽すぎる。重い、んだよ。
これも適切な言葉じゃないなぁ〜。
ん。でも重いと言っておきながらなんだけど。
自己と他者と世界がふわっと幸せになることが一番の望みです。
先日、妹と旧・
知り合いの娘さんが絵の個展をyuinobaさんでされていると聞き、出かけたのですが、お邪魔してみると、個展だけでなく、何か別なイベントもこれから開催されるところでした。
白井明大さんという詩人の方の、『季節を知らせる花』のお話会というものでした。
失礼ながら白井さんのことよく知らなかったのですが、お茶とスイーツ付きという言葉に誘われ(笑)
また、これも何かのタイミングだろうと、そのままイベントに参加してきました。
しかしながら、お話会が始まり、白井さんが手に取った自著を見てハッとしました。
つい先日、本屋で見かけて気になっていた 『日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―』じゃないですか。
あの本を書かれた方なんだ~と思って、まー、まずびっくり。
日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし―
白井 明大 有賀 一広
お花のお話ということだったのですが、白井さんがぽつりぽつりとお話する内容が、現状気になっていることなどと、あまりにもシンクロすることが多く。
たまたま立ち寄ったつもりだったけど、これはいわゆるお導きってやつなのでは⁈と姉妹そろって前のめりになりましたww
詩歌の話や暦の話、月の話や土地の持っている雰囲気の話、民俗学にもかかるような話も展開されていてと~~~~っても楽しかった。
咲いている美しい花のただ見たままを、日常のワンシーンを切り取ったような、さりげない歌が好きという白井さん。
とあるお話会にて、『詩は自分の中にあるものをカタチにして外に出すのが詩なのではないか?』とのお客さんからの問いへの、白井さんなりの答えが何気ないことなのに、とても大きな意味がつまっていて感動しました。
白井さん曰く、時間は過去・現在・未来と単純に縦軸じゃないということ、
周りのものと自分が一体となる瞬間があって、それは時間にすると0.1秒とかそんなものだけど、
その瞬間に色んなことを考えていて、過去・現在・未来がその短い瞬間に行き来している。
それは大げさなものじゃなくて、日常にたくさん起きているこだということ。
周りのものと時の流れに自分が溶けて永劫になった一瞬、自分が自然の受け皿になる。
のっけから涙腺ゆるめになってたのに崩壊したよね。
私たちの生活は、最小単位の何かの集まりで、できてるということ。
もっとも細やかな声に耳をかたむけること。
それが時としてとても大切なんじゃないかと、改めて強く思ったのでした。
白井さんの感性やお人柄、とても素朴で繊細で、まるでご自身が道端に咲く野の花のような方でした。
世の中にはこんな感性で生きておられる方がやっぱりいらっしゃるんだなあと思ったら、
ぜんぜん泣く話じゃないのに、どうしても涙がとまらなくて(笑)
たぶん変な子におもわれたことだろう。
でもそれって古代、縄文とか、歴史にも残らないような頃にはふつうにみんながしていたことなんだよねって、そう思います。

明石海人のうたのように生きがちな私ですが・・・(笑)
今はそんな生き方を考え直す0地点、はざまタイムだなあと。
このタイミングにお話聞けて、本当に幸せでした。
それはもういいんじゃない?原始のころの君はどうだったのさ?
花のように生きなよと言われた気がした、満月前夜のお話会。
帰りに本郷町のいにしへを感じる某所と、
そして大川の岸で柔らかい自然のエナジーにふんわりつつまれてきました。


きょうも、この大地とすべてのご縁に感謝。
Anna
白樺のワンド♡
タロッティストでドルイドぽいイメージの友達なので絶対樹のワンドをプレゼントしたくて、
この人は多分何も言わなくてもいいもの作ってくれるというビビビ直感でコンタクト。
在庫ないけど、すぐ作ります!と急ぎのオーダーに応じてくださいました。
自分らしく輝く。のテーマだけお伝えして、お願いしたのですが、あまりにも友達にぴったりな石や象徴を入れてくれていたのでふおおお!となりました。
魔女のネットワークはビビビで繋がってるのかもw
自分用も今、お願い中。
アースワークやアクセ作り、その他もろもろに使うんだい\(^o^)/
石も好きだけど、樹も好きなのよね〜。
いつか私もワンド作りたいわあ♡
岡山の職人さん。
勝手に紹介しちゃうねw
魔女っ子はゴーゴーだよ!
『ひとつぶの虹』 Shiki様
http://ameblo.jp/hitotubunoniji/
にしたびつれづれ最終話(笑)。
ブログ更新するのが激遅で申し訳ないデス。
21日、三日目は滋賀県は琵琶湖の北端に浮かぶ信仰の島、
Cちゃんとは、実際にお会いするのは2度目。
奈良をご一緒した皆さんもそうですが2回しか会ってないなんて思
お会いしない間もFBやLINEなどで頻繁にやり取りさせて頂い
きっとタマシイの歴史のどこかでご縁があったのでしょう^^
朝、後ろ髪をひかれつつも(笑)奈良を後にし、
Cちゃんと合流し、湖西線でゆっくり近江今津駅を目指します。
1時間ほどの列車の旅ですが、話が盛り上がりすぎて近江今津までほんと「
きちんとご対面するのは、実ははじめてな琵琶湖~!!!
や~!ほんと海みたいな大きさ!
お天気は良いし、テンションも上がりまくりです。
以前、日本の主要な湖はだいたい地図上で並んでいて、実際に湖同士のネットワークがあったというのを聞いていて、私自身も琵琶湖や故郷の猪苗代湖、十和田湖などが繋がっていると感じていました。
以前Mariaさんが会津に来て下さった時に、歌を奉納して下さった猪苗代湖の浜辺。
浜の名前の由来にもなっている、近くの神社の由来は琵琶湖ともご縁がありそうで。
なので、ずっと琵琶湖は気になっていて、会津の仲間たちの間でも「竹生島」というワードはちらほら出てはいたのですが、
でもまさか竹生島に自分が行くことになるとは思ってもいなかったので
八大龍王遥拝所にて、琵琶湖にCちゃんと共に手を合わせられることの嬉しさ^^
有名なかわらけ投げの鳥居も見ることができました。
すごく光が綺麗だった木!↓
ありがとう♡
一度ぐるりと島内をめぐり、船着き場への道まで戻って来た我々。
炎天下の中、もう一度階段を上り、
導かれて人のいない道の奥へ奥へ。
琵琶湖のお水に触れるぐらいの場所をはっけんしました!
きゃー!大興奮w
Cちゃんが歌を奉納してくれました。
龍雲がいっぱい、キラキラな琵琶湖の水、
シシガミさまのエナジーや、思い浮んだ土地と繋げるイメージを☆
たくさんの想いや時代があって、でも現代にまた生まれて巡り会うご縁の尊さ。
嬉しいばかりじゃなく、それは時に痛みそのものであるかもしれないけど、
それでも巡り会えた奇跡。
かみしめたいな。
色んな人のことを考えながら。
帰りのフェリー、琵琶湖の上にたゆたって、ただ祝福と感謝を送り続けました。
故郷の猪苗代湖のことをかんがえたりもしながら。
そして我々は一路京都駅へ戻り、御蕎麦を食べてスイーツを食しながら、
あれだけ喋ったのにまだぜんぜん話し足りなかったねwww
また、ここに帰ってくることを西の大地と空とお会いした皆さんに誓いながら、
京都駅から新幹線に乗り込み、東への帰路。
頭にあったのは、美しいヒノモトの自然とシシガミさまのこと。
帰宅したら、海外に住んでいる義弟に預けていた自分の玉が、一時帰国中の妹の手により自分の手元に帰ってきてましたw
なんだか自分の魂のカケラとほんとのチカラが戻って来たような、そんな象徴のような気がして微笑んでしまいました。
あ~~~、西の大地が愛しすぎて帰って来たことがせつないwww
絶対またゆこう。うん。
石清水ご一緒して下さったOさん、
そしてMariaさん、Cちゃん、Yさん、Kさん、
素敵な瞬間をご一緒できた事に、たくさんの愛と感謝を♡
そして、旅日記を読んで下さった皆様にも感謝を。
東より、シシガミさまのエナジーと共に♡
Anna
そうです、二月堂を後にした我々は、藤原氏の本拠地(春日大社ネー)にお邪魔する前に、腹ごしらえをば。
そしていざ!
春日大社へ。
奈良一人旅の時は、春日大社あたりがMAX体調不良でふらふらで、本殿見たかったのだけど、何故か「今日は入れない日だ」と勘違いしておみくじだけ引いて帰ったっけな。あんなに歩いたのにw
そしてその時の印象の春日大社、良く分からないけど「これはなんか違う!!」と思ったことだけは覚えてマス。
さてここで小話をひとつはさみますネ。
春日大社の本殿廻廊の西南隅にひっそりとたたずむ摂社・榎本神社にはこんな言い伝えがあるそうです。
元々榎本神社は当地の地主神であり、春日大社が春日野に創建される以前から、この地を拠点としていた春日氏によって巨勢姫明神(こせひめみょうじん)という女神が祀られていました。
ある時、武甕槌命(タケミカヅチノミコト。現・春日大社の神とされている)は春日野一帯に広大な神地を構えようと一計を案じ、地主である榎本の神に「この土地を地下三尺だけ譲ってほしい」と言ったそうな。
榎本の神は耳が遠かったために「地下」という言葉が聞き取れず、「三尺くらいなら」と承諾してしまいます。
武甕槌命はすぐさま、榎本の神が所有する広大な土地に囲いをしてしまいました。
榎本の神が「話が違う」と抗議すると、武甕槌命は「私は地下三尺と言ったのに、あなたが聞き取れなかっただけでしょう。約束通り、境内の樹木は地下三尺より下へは延ばしません。あなたは住む所がなくては困るでしょうから、私の近くに住んで下さい」と言ったので、榎本の神は春日大社本殿のすぐそばに住むようになったそうな。。。
それはさておき。
本殿に回廊をぐるりと回ってご参拝。 ご神木の大きな木にご挨拶。
しばらくこの木の根元で、みんなで木とおしゃべり。
シシガミ様の首をお返しするイメージ、そして川のせせらぎのビジョンを受け取ったので、水を繋ぐイメージで木と語らっていました^^
春日大社をぬけ、御蓋山のエナジーをより感じることのできる森のほうへと歩いて行きます。
やっぱり木々の中は違うな~~~!さっきまでの重さが嘘かのようですw
森を奥へ奥へと歩いてゆき、とあるお社のまえで休憩していると、
突然、セミが一斉に鳴き出し、辺りが暗くなり…そして遠くで雷鳴…www
古代の春日の森とお山と自然、、そこに宿っていた本来のエネルギーに想いを馳せる素敵な瞬間。
遠くで鳴り響いていた雷鳴がどんどん大きくなって一雨来るかなと思ったその時でした、、
聞いたことのないようなうなり声のような大きな風が森の中を吹きぬけて行って、
一瞬あっけにとられていた私たちに、びっくりするぐらいの土砂降りの雨・雨・雨。
歪んだ時空が戻ったようなほんとに不思議な風だったんだよ~、まるでデイダラボッチが通り抜けたかのようでした。
雨上がりの若宮社。
柏手を打ったら、ブレスがはじけ飛んだw
奈良でのもろもろの鎖が解けた気がして、みんなで微笑み合いました。
石たちは何かもう見当たらなかったのです。(ばらまいてすみません)
緑がひたすらに美しかった。
あな、すがすがしや♡
この空であるw
ご神木が、それこそもののけ姫の、シシガミサマが降りてくる木に見えてしょうがない。
春日の森、
そしてここに息づくすべての者達。
古代の神々よ、本当にありがとう。
そうして最後に我々は、甘いものを求めに、奈良ホテルのティーラウンジへ♡
古代米のケーキほっぺがおちるほど美味しかったよ~~~!(自慢である)
無事に奈良の1日も終了。
別れを惜しみつつ、皆さんともここでお別れ。
本当に素晴らしい奈良旅でした。Mariaさん、K山さん、Kさん、Cちゃん本当にありがとう!!!(お名前出して良いか分からなくて中途半端にふせました)
最後はやっぱりここから!
みんなのこととか奈良での魂の色々とか考えていたら、ここから離れたくなくて、しくしく泣いちゃった。笑
21日最終日はCちゃんと滋賀へ。
もうすこしお付き合いくださいネ^^
Anna