茨城県神栖市 息栖神社

Posted by Anna(旧:Noa) On 2012年11月28日水曜日 0 コメント


茨城県神栖市にある息栖神社(いきすじんじゃ)にお邪魔してきました^^
 息栖神社は、もともと数キロ下流にあった日川地区にあり、大同二年(802年)にこの地に 遷座したのだそうです。
古くは香取海に浮かぶ沖洲だったそうで、息栖でなく於岐都説(おきつせ)(「沖洲の津」「沖洲瀬」の意)と呼ばれていたとの説もあります。




ご祭神は岐神(くなどのかみ)を主祭神として、天孫降臨のため遣わされた武甕槌大神を乗せて先導した天鳥船神(あめのとりふねのかみ)と航海や交通の神である住吉三神を祀っています。

岐神は、くなと(ど)・ふなどとも読み、黄泉の国から帰ってきたイザナギが禊の時に、投げた杖から化生したと言われており、道祖神や塞の神、猿田彦と同一視されています。
岐神も東国開拓の折り、出雲の国から東国に武甕槌大神(たけみかずちのおおかみ)を先導した神様です。

ここに祀られた方々は、どの方も道先案内人(神?)なのですネ。宮城の鹽竈神社の塩土老翁(しおつちのおじ)にも性格が似ていますね~。

また江戸時代にはご祭神を気吹戸主(いぶきどぬし)としているものもあります。

気吹戸主は罪穢れを祓い清める祓戸の神です、罪穢れを根国・底国に息で吹いてしまうという大祓祝詞の一節からも分かるように、エアー(風)属性の神様です。

ふふふ、エアーの神様、好きです。笑




立派な朱色の隋神門~♪素敵でした☆


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本殿を後ろから失礼してパシャリ。 
昭和に入ってから火災で本殿が消失し、それ以来コンクリートのお社だそうな~。
  
雨上がりだということもあってか、境内はしっとりとした空気に包まれていました。


ご神木の夫婦杉^^ なんと樹齢千年以上だそうです~~!スゴイ!

木の精霊さんが宿っていそうな雰囲気です。
 
その昔、若者たちが力比べのために持ち上げたという力石。
ミンナチカラモチダッタンダネ。笑




ちょうど菊の季節でした^^  So Beautiful !

 
 本殿よりも、息栖の森や木々が気になってしまって、誘われるがままに林の中へ。
すっごく心地良かった~~ やっぱり自然はイイ!!


最後に、一の鳥居まで戻って、日本三大霊泉のひとつ「忍潮井(おしおい)」を見にゆきます。





忍潮井は、旧社殿と同じく元々は数キロ離れた日川の傍にありました。

この辺りがまだ海だった頃に海水をおしのけて真水が湧いていたという、なんともアンビリバボーな井戸です。
大同二年の遷座と共にこの地まで引っ越してきたようです。

井戸は左右の鳥居の下、水中深くに女瓶・男瓶が据えられており、その中から水が湧き出しているといいいます。

男瓶は銚子の形をしていて、 女瓶は土器の形だそうですが、どっちがどっちだかわかりませんでした。笑 
 


というか忍潮井まで歩いてきて気づいたのですが、周辺に「猿田」という表札のお宅が何軒もありました。
後から調べたら鹿嶋市と、利根川を挟んで対岸の銚子にも猿田という地名があり、銚子の猿田には猿田彦が降臨したとされる猿田神社という社もあるようです。

う~ん、興味深いですね。


旅の最後に利根川を眺めました。

初めてまじまじと見る利根川に妙に感激。笑
この流れを遡っていくと、こないだ訪れた埼玉の行田市に繋がっているのだよね~。



今回も楽しき旅となりました。
息栖の神、土地の精霊たち。
ここへ導いて下さって、そしてご縁を頂きありがとうございました♡

埼玉県行田市 さきたま古墳群

Posted by Anna(旧:Noa) On 2012年11月10日土曜日 0 コメント

行田市のさきたま古墳群に先週の土曜行ってまいりました。古墳と言えば西のイメージが強いですが、関東の古墳は数も規模も西の古墳に負けず劣らずナノデスヨ。
古墳をマップ上に表示できるアプリをマイiPhoneに入れているのですが、行田市周辺で開いたら気持ち悪いぐらいマップ上にピンが立っていました。笑

さきたま古墳群といえば、国宝の金銘錯鉄剣が発見された稲荷山古墳が有名ですネ。
他にも日本で最大の円墳と言われ、豊臣秀吉が天下統一を進める1590年、家臣の石田三成が市内にある忍城を水攻めにする際に、この頂上に陣を張った丸墓山古墳など、かつては、40基ほどの大小の古墳が造られたことがわかっており、出土した遺物から5世紀後半から7世紀初めごろまでの約150年間に次々と造られたと考えられています。

どんな出会いがあるのか、わくわくしながら古墳群をめざし行田市へ車を走らせます。
このあたりかな?とキョロキョロしていると、古墳らしきものを発見。
近づいてみるとそこは、さきたま古墳群の北端である白山古墳群内の白山神社古墳でした。



7世紀前半に作られた円墳といわれています。
古墳の墳頂には白山姫が祀られていました。

 風がさわさわと、木々の葉を揺らしていました。



さて、お昼を食べ、目指すは本命のさきたま古墳群!
見てください!(笑)ほんっとに!テンションあがるでしょっ!!!
すんごおおおおぉい!!!!




手入れの行き届いた大きな古墳が沢山並んでいる姿というのは圧巻です。
そしてそして、何なのでしょうこの心地よさは。
白山神社古墳といい、古墳の概念を覆すような素敵に穏やかなエナジーに満ち満ちています。
きっとここに眠る古の貴人たちも、さきたまのこの麗しい大地を愛していたのでしょう。
だからこの慈愛の様な優しいエナジーが満ちてるのかな?と思いました。
それか元々何か聖地っぽい場所だったのでしょうか。
家族連れの人たち、カップルなど思い思いに陽だまりの古墳公園を散策する姿は、なんかいいなあって思いました。

あと、古墳と全く関係ないんですが、古墳の真横で謎の男性ラッパーが一人曲の練習していたのが気になりましたよww
なぜ古墳のそば選んだし!www 





古墳公園の一角に、埼玉の語源になった前玉神社(さきたまじんじゃ)があり、そちらにもお邪魔させて頂きました。
こちらは浅間塚古墳の墳頂に立っていますが、古墳公園とはまた違った独特のエネルギーでした。ふるいっ!濃いっ!『古墳』って感じです、ちょっぴり渡来系のにおいもするような。
ご祭神は前玉彦命(さきたまひこのみこと)・前玉姫命(さきたまひめのみこと)。



でもこちらも地元の人たちにとても愛されている場所なのだなと感じました。というか、社殿や手水舎の彫物がすごいっ。半端ないっす!手水舎の龍さん、カッコイイ☆こんな立派な手水舎どなたが寄進したのかしら?



うん、でも私的に白山神社古墳や古墳公園のほうが落ち着くかな。笑

最後に「のぼうの城」で有名な忍城へ。遅い時間だったので忍城おもてなし甲冑隊に会えなかったのが残念です。後でwikiったらのぼう様こと成田長親は小田原城降伏ののち、一時会津の蒲生氏郷のもとに身を寄せていたんだとか。 


さきたま、行田の素晴らしさを肌で感じた一日となりました。
 

ありがとうございます。