Do you hear the people sing?

Posted by Anna(旧:Noa) On 2013年5月28日火曜日 0 コメント

少し前の事になりますが、今年の1月、ちょうど映画レ・ミゼラブルのこの記事を書いている時のことでした。
↑は『民衆の歌』を聞きながら、テンションが上がりに上がって一気に書き上げた記事なのですね。
記事投稿後もPCに向かいながら作業していたのですが、
ずーっと頭の中で「民衆の歌」がエンドレスリピートしてまして。
同じ曲をずっと聞いてたら良くある現象だと思うのですが、
なんだかこの時は脳内ミュージックのボリュームがどんどん大きくなるのです。
「自分、どんだけレミゼ熱すごいのよw」と最初の0.1秒ぐらいは思ったのですが、、、
すぐさま異変に気づきまして。

実際に大勢の人が耳元で歌っているというか歌の節に合わせてそれぞれ何かを叫んでいるような感じに聞こえてきたんです。
それで、「あ、、何か(視えない人達)来ちゃってる?!と意識した瞬間、
もう耳をふさぐような大合唱で、体もピクリとも動かせないような感じになっちゃいまして。。。笑

耳を澄ませてチャンネルを合わせようとすると、はっきり言葉が聞こえてきそうだったのでそれは怖くてというかどうなるか分からなくて、必死に民衆の歌の歌詞に集中してました。
短い時間だったのかもしれませんが、体感としてはすごく長く感じました。。
無理やり振りほどくこともできたのかもしれませんが、
振りほどいてはいけない感じもして(受け止めることで彼らの慰霊になる)
ただその大勢の方々が過ぎ去るのをじっと待っていたのです。

魂的にフランスともご縁あると思うので、フランス革命や二月暴動で亡くなった方の魂たちがきちゃったかな?と最初は思ったのですが、、やっぱり土地柄的な事を考えるとこれは戊辰戦争で亡くなった方たちだったのでは?と気づきました。

で、彼らが伝えてきたことというのは、非言語メッセージだったのですが
「誇り」と「怒り」「憤り」のようなものが複雑に絡みあったものでした。
私自身の魂が「自由と情熱」「誇りのために戦う」というテーマを持っていて、そういう人たちとコンタクト取りやすいのかもです。笑

そんな一件があってからというもの、戊辰戦争の癒しというのは、会津の土地を癒すという意味ではやっぱり避けては通れない、 最重要項目なのかもしれないなと思うようになりました。
戊辰のエネルギーというのはマダマダ深く残っているなあと、 ここで生活しているととてもよく感じるのです。

もちろん、会津側だけでなく新政府軍側で亡くなった人や会津藩が戦いによって蹂躙してしまったものや人も知って行かなければいかない、深く受け止めていきたいと思います。
一部の会津人の「薩長いまだに許せん」的な気持ちにはずっと冷めた気持ちでいました。
歴史を良く見ないで戊辰の悲劇だけ取り上げて会津至上主義みたいに言っている地元の人達は苦手です。

学校の行事で小学生の頃参加した飯盛山でのイベント。一般の方々も参加していて、観光客とおぼしき夫婦に、地元の大人が「どちらからいらしたんですか?」と問いかけていました。夫婦の出身地は覚えてませんが(笑)その時の地元の大人の「長州じゃなくてよかったね。」という言葉に、子供ながらに怒りと恥ずかしさを覚えたのです。
わざわざ遠くからこんな僻地に来てくれているのに、そんなこと言うなんて…信じられない気持ちでした。


会津のこの薩長に対する癌のような考え方も癒していかなければならないですね。
どんな状況も慈愛と赦しが根本にあるのだから…。

あの時話しかけてきた大勢の見えない方々、薩長を恨んでいるとかそういう怒りではなかったように私は感じました。
「自分たちは誇りを持って戦ったんだ。」というそれだけなのですよね。双方の曲解で散って行った人たちの誇りを穢してはいけなのかもしれないですね。

せめて埋もれてしまった微かな囁き声を、丁寧に砂を掃い優しくひろいあげてゆきたいものです。
今後は古代だけでなく、ここにもきちんと向き合っていきたいです。
この土地に生まれたものとして、戊辰の癒し…アースワーク、巡礼もしていきたいと思っています。


全ての魂とこの土地に、
愛と感謝をこめ。



Noa

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